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<コラム>外国語学習と異文化への関心 ~ 結婚披露宴に猫がいた

【英語科主任 佐々木 晋】

外国語を学ぶのに最も手っ取り早い方法は、その言語を話す恋人を持つことだ。それも、日本語ができない人がいい。そうすれば、嫌でも外国語を使わざるを得ないので、急速に上達していく。自分の想いを伝えたい、相手の気持ちを知りたいと一生懸命になるからだ。必要に迫られれば、どんな怠惰な人間でも必死に学ぶものである。そうやって私はインドネシア語を学んだ。インドネシア人女性と付き合うようになって、特にリスニング力が飛躍的に伸びた。なにしろ、彼女はいくらでも喋り続けることができる。文字通りエンドレスでリスニングの特訓をしてくれた。ときたま確認テストのように「どう思う?」と質問が飛んでくるので、一瞬たりとも気は抜けない。

また、東京とバンドンに遠く離れていた時には、日記をつけるように手紙を書いた。1年間に200通は書いて送ったはずだ。Eメールなどまだ存在しない時代で、エアメール(航空便の手紙)に頼るよりなかった。頻繁に国際郵便を送っていたので、郵便局に入るとすぐに「インドネシアへのエアメールですね」と声をかけられるほどだった。結婚後は、夫婦喧嘩に負けないように(匙加減が難しいが、勝ってはいけないようだ。目指すのは、うやむやの引き分けである)、さらに磨きをかけている。インドネシア語は一生学び続けることになりそうだ。

と、上の文章を書いたあとで、日本人らしく不安になった。このコラム全体の調和を自分は乱しているのではないかと。

ただ、私は次のように考えている。いろいろな人間がいるからこそ世界はおもしろい。いや、それどころか多様な人間がいない世界は次第に衰え廃れていく、と考えている。地球環境に生物多様性が必要なように、人間社会にも多様性が欠かせないのだ。

世界は違う考えを持った人たちで満ちている。そこには千差万別の文化が存在する。だからこそ世界は成り立っていける。これが均一の文化しかなかったらどうなるだろう。「誰もがみんなと同じ複製だったら、世界はどうなるだろうか。そんな世界は破壊して、博物館に一体の標本を飾っておくほうがましだ」(構文解釈テキスト18ページ)である。

だから、英語学習について語らない英語教師がいるのは多様性を保っている健全な学校である証拠だ。と開き直るようにして、ついでに文化の違いについても書いてみたい。

結婚式をジャカルタのモスクで挙げた後、披露宴をおたがいの国で開いた。妻は日本での披露宴にひどく驚いていた。前もって打ち合わせがあり、段取りを関係者みんなで確認していく。当日は招待客の席が決まっていて、プログラムは流れるように進み、時間通り始まって予定時間に終わる。日本では運動会も卒業式も予行演習をやって当日に備えると話すと、本当に驚いていた。そんな国の人と結婚してうまくやっていけるだろうかと不安になったそうだ。

一方、インドネシアでは大雑把な披露宴だった。1時間遅れて始まり、来客の中には私も妻も知らない顔が大勢いた。招待を受けた人が自分の友人を連れてくるからだ。さらに、五つ星ホテルでの立食パーティなのに、猫まで紛れ込んでウロウロしていた。でも、ホテルの人は誰も気にしていないようだった。「猫にまで祝われているおめでたい披露宴」とでも思っていたのかもしれない。そんな国の人と結婚してうまくやっていけるだろうかと不安になった。

それでも私たちは25年以上も連れ添っている。文化の違いを楽しみ、時には驚いたり腹を立てたりして、ここまで歩んで来た。なんだかんだと言いながらも、おたがいに関心があるし、相手が生まれ育った社会や文化にも興味があるからだ。

言語は文化と切り離せない。異文化への関心は外国語学習の原動力ともなるのだ。


著者プロフィール

札幌南高卒、高校在学中に米国ネブラスカ州ゲーリングハイスクールに1年間留学。東京大学理科2類合格、翌年退学して東京大学文科3類再受験し、再入学。東京大学東洋史学科卒業、大学在学中にインドネシア国立インドネシア大学文学部に2年間留学。東京外語大学大学院インドネシア語学科修士修了。その後、クアラルンプールおよびジャカルタで帰国子女のための大手学習塾に勤務。2011年から当校英語科勤務。現在英語科主任および札幌駅前校本科担任。

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